ミゼラブル・決別篇5

ミゼラブル・決別篇5



狐坂ワカモは危険人物である。


キヴォトスで彼女と出会った人物ならば100人中100人がうなずく認識であり、あの先生ですらあいまいな微笑みをしながら彼女が危険であること自体は否定しないだろう。


なぜ彼女がそれほどまで危険視されているのか。


戦闘力?ハッキング能力?扇動力?掌握力?立ち回りのうまさ?それらを支える頭脳?


「ほむ。まあ確かにどれも危険な能力ですね。ですが、そこではないのです。」


キヴォトスのどこか、匿名希望の金髪の少女は、安楽椅子に深く腰掛けながらそう否定するだろう。


「もっとシンプルに、単純に、他との差異を考えてみましょう。」


「清澄アキラは宝物を盗みます。」

「申谷カイは倫理を無視します。」

「栗浜アケミは暴威を振るいます。」


「なんのために?」


「美学のため。」

「研究のため。」

「義理のため。」


「おおむねこんなところでしょうか。」

「もうおわかりでしょう。……では、答え合わせです。」


「狐坂ワカモは、なんのために破壊をするのでしょう?」


「…目的のための手段ではなく。手段のために目的がある。」

「気にくわなかった。綺麗そうだった。目についたところにあった。なんでもいい、なんでもよかったのです。」


「破壊するために破壊する。」


「破綻した論理を振りかざす、理解できない予測不能の存在ほど恐ろしいものはない、そうでしょう?」


まるで己の手で収集した芸術品の美しさと歴史を語り明かすように、その犯罪の凶悪性にこそ惹かれる煌めきがあるとでもいいたげに。金髪の少女は安楽椅子から身を乗り出し、朗々と言葉を並べていた。そして、その問い掛けに目の前の人物は如何に返答するのか、興味深そうにチラリと視線を向ける。

だが、その人物は、やってきた時と同じように、疲れきった顔に人の良さそうな笑みを浮かべたままであった。


“ワカモは素直な子だよ。”


“危なっかしいけど、恐くはないかな。”


「ほむ……まあ、今語ったのは昔の彼女の話、ということになってしまいましたからね。先生。」


先生のその答えに対して、少し反芻するように口ごもった後、金髪の少女は安楽椅子に身体を沈めると皮肉るような呆れるような仕草で首をふった。


狐坂ワカモは危険人物である。


とある出来事により、理解できない存在ではない。



キヴォトス某所における先生と少女の秘密の会談。それとほぼ同時刻、ブラックマーケットにて。

災厄の跡がそこにあった。

焔の舌は路地を舐め、倒れ付した鋼の兵たちは黒く染まっていく。

その中で立っている人影が一つだけある。


耳と尾を揺らす妖しい黒髪の狐少女。その口許に浮かぶのはうっすらとした微笑みだ。目の前に広がる惨状を眺めて楽しんでいるとしかいいようのない怪物の笑み。


ブラックマーケットの一角は狐坂ワカモの手により焦土と化しつつあった。


「あぁ、ふふ、…楽しい。」


炎にかこまれてぼそりと彼女がつぶやく独り言には上ずった喜悦の色がある。


「生まれもったサガ、とでも言うのでしょうね。この感触にどうしようもなく胸が踊る、心が弾む。もっとこの炎の色を眺めていたい、そう思ってしまう。ですが…」


彼女は煙る空を見上げ、煙と肺と焼け付く空気をゆっくりと吸い込み、数秒目を閉じてそれに浸った。

だが、目を開いた時にその瞳に写るのは先ほどまであざけり、浸っていた己の手で引き起こされた目の前の悲惨ではなかった。どこか、もっと遠く。ここにはない愛おしいものを思っているような、そんな瞳。


「…今この胸を満たす感情に比べれば些末なこと、ですわね?」


ワカモは懐から狐の仮面を取り出すと、己の顔を覆い隠した。仮面を被る一瞬にその顔に浮かんでいた表情はもはやうかがいしれない。乙女の秘密は、たった一人にしか明かされないのである。


「さて。これからいかがいたしましょうか。火付けは十全、風も上々。なにやら小火がついていたので煽りたてたのですが、それなりの大惨事になりました。しばらくは皆、火の気に惑い、ここから先の区画に近づくことは難しいはず。他所でも連鎖的に燃え広がっているはずですし、火事場泥棒にはもってこいの状況でしょう。」

「ですが、この後は邪魔者を掃除しながらただ待っているだけ、というのも…何かもう一刺激在ってもよいのですが…。おや?」


ピクリとワカモの耳が揺れた。遠くから聞こえてくるのは地を引きずり、大地を擦る駆動音。


「へぇ。真っ先にここに来るとは…随分運の良い方がいらっしゃるようで…。」


炎の揺らぐ先をワカモは仮面ごしに睨む。この音はおそらく戦車の音。


「いいでしょう。暇つぶし、といきましょうか。」


戦車相手に一人で立ち向かって負ける、とは当然思っていない。むしろ余裕のあるゆったりとした態度で、音のする方向をワカモは向く。この大火の中を戦車で突入してくる向こう見ずの顔をまずは見てやりたくなった。


「邪魔者の姿、見せてもらいましょうか。……あら?」


「はぁっ…はぁっ…はぁっ…!!」


燃える通りをくぐり抜け真っ先に現れたのは戦車の影ではなかった。息を粗げ、何かから逃げ出すように必死に逃げている、フルフェイスのヘルメットを装着した生徒が三人。彼女たちの腕にはアビドスの腕章が結ばれていた。


「!!ど、どいてっ!!」


立ちふさがるワカモの姿に気づいたのか、その中の一人がパラパラとライフルを放つが、疲弊し、ぐらぐらと揺れている銃身ではその場のワカモの姿を揺らがせることすら出来ていない。


(ひょっとしてこの三人を追い立てているのですか?戦車で?)


目の前の人物がその場を退かず、進路を塞いでいることに恐慌し、それでも逃げ出さずにはいられないと足をもたつかせている三人の姿。近づいてくる地響きに対して、三人はちらちらと炎の向こう側を気にしている。目の前の光景からワカモは状況を理解した。

だがその推論の通りであるとするならば、その行為は過激過剰がすぎるのではないか。


己の中でその存在への認知度を数段引き上げながら、ワカモは不敵に仮面の下で微笑み、逃げてきた三人に黙って銃口を向けた。身を竦ませた三人はその意味を言外に理解する。ここから先に彼女たちを通す気は彼女にはないのだと。


やがて陽炎で巨影を歪ませながら、戦車がその姿を表した。三人がその場に止め置かれ、ワカモが立ちはだかっていることを認識したのか、戦車はがりがりと轟音を立て、三人を身震いさせながら、見事なテクニックで彼女たちの前で停止した。

やがて、ハッチが叩き開けられた音が響き、そこから影が飛び出した。着地の衝撃で巻き起こる風が周辺の炎を揺らす。


「むっ、あなたは…災厄の狐、狐坂ワカモ!?…なぜここに?」


「あなたは確か…救護騎士団の団長…?なぜブラックマーケットの戦車から…?」


やがて、姿を認識した双方から戸惑いの声が漏れでた。詳しくは知らないが面識はある。たがいの肩書は知っている。それ故に互いがその場にいることに面食らっていた。そんな両名の頭の上から声がかかる。


「ミネ団長!三人が逃げます!!」


「???」


面の下でワカモはその声の主の風体に首をかしげた。


ハッチから身を乗り出したその生徒は、紙袋に適当な穴を開けただけのものを被っていたのである。面貌にしては粗雑なそれは中々使い込まれた風情があり、生徒の顔にきっちりとフィットしていた。

隙をみてこそこそと走りだそうとしていた三人を指さしていた彼女は、面越しに注がれるワカモの視線に気づいたのか、こちらを見た。紙袋の穴の奥の瞳は火の産む影のせいか窺い知れず、漆黒の穴がワカモを見つめ返す。


「あはは…えっと、どいてもらえます?そこにいると轢かれちゃいますよ?」


「……。」


くぐもった声のその響きが、チンピラの脅しのような威勢によるものではないとワカモは感じ取った。コイツは、やる。このまま私がここに立ち続けるなら戦車砲を放って吹き飛ばすぐらい間違いなくやる。

彼女の脳裏によぎるのは、先ほど砂狼シロコから聞きだしたとある凶悪な知能犯の話…まさかその当人ではないだろう。だが、凄みはその話と同質と言っていい。


「事情は知ったことではありませんが…団長さんに見知らぬあなた、ここから先は通行止めです。邪魔者は排除させていただきましょうか!!」


この人物は、邪魔だ。先生のために、この先に通すのは間違いなく邪魔になる。


狐坂ワカモ。危険人物。災厄の狐。


現在の行動原理は『先生のためになんでもする』。

惚れた相手に頼られることほど嬉しいこともそうはない。ましてそれが己の得意の破壊工作ならば。

一言でいえば、今現在のワカモは非常にモチベーションとテンションが高い。先生のための任務遂行に邪魔になりそうな存在は、徹底的に排除しなくてはならないと即決するほどだ。…例えば得体の知れない紙袋を被った怪人物とか。


「狐坂ワカモ、この惨状はあなたが引き起こした、というわけですか!…やはりあなたは要救護者です。立ち塞がるというのなら一度徹底的に救護しなくてはならないようですね!」


運の良いことに、そうして敵意を投げかけられれば、目の前の状況に拳を震わせている生徒が黙っているわけもない。


「え!?ちょ、ちょっと待ってくださいミネ団長!別に争う理由は…!」


「ボスとのエンカウントですか!?」


「えっ?戦闘を極力減らして強行突破するために戦車を強奪したのでは??」


「救護!!!」


「退きなさい!!!」


戦車の中から聞こえてくる戸惑いの声もむなしく、銃撃音と破砕音が響き渡り始めた。

紙袋の怪人物は戦車のなかに舞い戻り、操縦桿を涙目になりながら握り直す。ガスマスクの少女は舞い戻ってきた紙袋の少女にサムズアップをすると、コントロールハンドルをぐっと握りなおし、砲を放った。真っ直ぐに飛んでいった火は、鉄火場から命からがら逃げ出そうとしている三人のすぐ真後ろに直撃し、その足を先に進ませることはない。


そんなわけで、ブラックマーケットの一角で狐坂ワカモと覆面水着団リーダーファウストと勇者たちのマッチアップが実現してしまった。


「どうしてこんなことに~!!」


(…放火したせいでは?いやそもそも……)


戦車内に詰め込まれていたカヤは、紙袋の生徒による凄絶なドライビングテクニックで三半規管が振り回され、思考もはるか彼方に吹き飛んでいきそうなのを感じつつ、これまでの経緯に思いを馳せていた。



時は少々さかのぼる。


ブラックマーケットには狭路が多い。これは都市計画という言葉など存在せず、違法建築の建て増しが繰り返されているためだ。通ることができたとしても一人か二人といった広さの道がそこかしこにあった。その狭さをいかしてビルの間に線を通し、誰かの洗濯物がぶら下がっているのもよくあること。だが、それらやビルの影が四六時中空を覆い、常に薄暗く、人目につきづらい。何かが潜むか、潜んで何かをするには絶好の場所と言える。

例えばそう、後ろめたい取り引きとか。


「おお、来ましたか。いや~今日は来ないかと思いましたよ。」


スーツを着た一人のロボットがそう声をかける先には周囲をきょろきょろと見回す、ヘルメット団らしい風情のアビドスの生徒が三人がやってきていた。


「んん、いつもの子たちではないんですね?新入りですか?」


「…はい、今までの子はちょっと入院中で…ん、んんっ、何、なんか文句あんのぉ?ココに来て、わざわざ鍵だけ渡しにくるのがヤツが部外者なわけなくなぁい?」


ヘルメットを被った生徒の一人はいわゆるヤカラの仕草があまり身についていないようで、連れ合いに脇腹をつつかれて慌てて取り繕うような軽薄な甘ったるい声色に変わった。ロボットはそんな不慣れな様子にも愛想笑いを崩さず、たんたんと取引を促した。


「どうやらやり方は教わっているようで…いいでしょう、モノさえ渡してくださればコチラとしては文句はありません。さ、とっととすませましょう。今日は妙に騒ぎが多い。この路地まで焦げ臭さが漂ってきています。お互い、時間はかけたくないでしょう?」


「…じゃコレ。いつもの手筈で渡す…んだけどぉ、その前に一つ聞きたいことあんだよねぇ。」


「…なんですか?」


生徒がポケットから鍵らしきものを取り出しかけたが、中断して問いを投げ掛けようとしたことに、ロボットの愛想笑いが消える。無表情で圧を放つそれに、どうにもそういったことが慣れない風情がにじみ出している生徒は口火を切りかねていた。その様子を見かねてか、ロボットと話していた生徒の前に回りこむようにして、別のアビドス生がロボットにつっかかりはじめた。

 

「あんたら、最近トリニティに『アレ』売ったでしょ!おかげでボスはお冠。いつもの子達が来てないのもそれのせい。知らないとは言わせないわ!なんで売ったの!?」


「……。あぁ、なんだ、そんなことですか。」


イライラと詰問する生徒の態度をものともせず、ロボットは軽く小馬鹿にするような鼻息すら吐きながら、首を軽くふった。


「そもそも私たちは売っていませんよ?」


「な!?なにいってんのよ!トリニティで見かけない商品あったらすぐわかんのよ!しらばっくれるつもり!」


「ですから、私たちは売っていないと言っているのです。確かに、あなた方から砂糖を買っているのは私たちです。それを売ることもしています。そういう契約ですから。ですが、ねえ?買った誰かがその砂糖で何をしているかまで私たちが知るわけないでしょう?」


「な、アンタね…!!」


ロボットのいけしゃあしゃあとしたごまかしの言い分にアビドス生はますますヒートアップする。交渉からいさかいに変化しかけているやり取りはしばらく続きそうに見えた。


「なっ!?」


「むぅ!?」


だが、突如として彼女たちの上からドサドサと降り注いだ影が視界を塞ぎ身にまとわりついた。薄汚れたカビ臭さ漂うそれは布の質感をしており、彼女たちはその正体をすぐに理解する。


「洗濯物っ!?なっんでこんな時に……」


自身を覆うそれをうっとうしそうに引き剥がそうとする各々。


ここまでわずか数秒。洗濯物と糸を使い作り出した即席簡易トラップにより、得られた視界と動作の不良は、ほんのわずかな隙しか産み出せない。


だが、その隙は、路地の上から姿を表した生徒にとっては充分すぎる狙い通りのものであった。彼女の顔にはガスマスクが装着され、路地にさす僅かな光を遮る影は、不気味さを醸し出している。彼女の構えたアサルトライフルの銃口は下の彼女たちをしっかりと捉えていた。


「ぐっ!!」「っ!!」


屋上から雨のように弾丸を浴びせられ、衣類に次々と焦げた黒い穴が空いていく。ロボットだった塊はたちまち崩れ落ちて、地面にうずくまった。


「おうおう!なにしやがんだてめぇ!!」


路地の奥から駆け寄って現れたのは、大型のパワードスーツに身を包む、ブラックマーケットによくいる傭兵だ。うずくまるロボの前に立ちはだかるようにして銃弾の雨を受け、片手のライフルでビルの上を牽制してきた。ガスマスクの少女はここから打つだけでは有効打にならないと即座に判断し、撃ち方を切り替えようとしたその時だった。


「!強モブですね!!任せてください!強靭の高い相手には、削り値の大きい武器です!行きますよ!」


「え!?ちょっと!?私も降ろす気でっ”っ!?!うぁあぁぁぁ!??」


ガスマスクの少女の後ろから明るい声と焦ったような声が聞こえ、影が飛んだ。己より小柄な影に引きずられながら同時に落ちていくもう一人の影は、身の浮き上がる恐怖に甲高い悲鳴を上げ、二人は路地へと落下していく。

しかし、悲鳴をあげる影が地面に激突する間一髪の所で、小柄な影がはっしと彼女の傍に飛んでいたドローンを掴んだ。着地の衝撃が吸い取られたことで、二人はふんわりと地面に着地する。


「安心してくださいカヤ!アリスは今回、落下死がないストレスフリーな仕様です!」


「うおぇっ、おえっ…胃がひっくりかえりました……」


アリスとカヤであった。着地の衝撃はなくとも自由落下の激しい揺れに目を回すカヤを尻目に、アリスは背に背負っていた砲と杖を折衷させたような奇妙な杖に手をかけた。


「…な、なんだかよくわからねぇが死ねやコ”ラァ!!!」


劇的な登場を果たした二人に呆気にとられていたパワードスーツは、アリスのその明らかな攻撃への予備動作に慌てて攻撃の意志を取り戻し、その手に握られた銃から弾をばら撒く。だが、アリスはその程度の弾丸に揺らぐことなく、杖を悠々と構えると、発光している先端をパワードスーツへと向けた。


「光よ!!」


狭い路地裏に眩い光が数秒瞬き、すぐに元の薄暗さが戻ってくる。放たれた光が引き起こした結果は、ヘルメットの中で白目を向いて倒れている焦げ付いたパワードスーツの生徒が明確に示していた。


「撃破です!大きさだけの雑魚キャラでしたね。」


「……あっ!アリスちゃん、まだです。私たちの目的は彼だけではありません。」


一瞬の攻防の後、アリスの後ろから様子を見守っていたカヤがスーツが立ちはだかっていた方へと指を指す。そこではいつの間にかまとわりついていた衣類をはぎとったアビドス生の三人が倒れているロボットを置き去りにして、自分たちがやってきた路地の入口へと駆けだしていた。


「こんにちは。救護者の皆さん。」


入口に仁王立ちで立ちはだかる生徒が一人。立っているだけで放たれる存在感と威圧感。思わず三人の足もすくむ。

そう、救護騎士団団長、蒼森ミネである。


「救護ッッッ!!!!!」


そのまま有無を言わさず、ミネは地に突き立てていた盾を手に取り銃を向け、三人へととびかかった。鈍い殴打音と銃撃音が響き渡り、逃げようとしていた三人はあっという間に地に伏せる。

「ふっふっふっ、知らなかったのか。師匠からは逃げられない…!」


「なんのことです?」


「魔王を前にして逃げるコマンドを選択する愚かしさのことです!」


「??」


「うん、片付いたな。よかった。ヒフミ、大丈夫か?」


「うん、だいじょう、ぶっ!っとと。アズサちゃんに最近は色々教わったから、なれてきましたっ。」


アリスの発言にくびをひねるカヤの元へと、路地へと垂らされたロープを使い、ガスマスクの少女…アズサが降下してきた。ついでヒフミも少しフラつきながらアズサのいた屋上から降りてきた。


「ミネもケガは無さそうだな…とりあえず、私は彼女たちを縛ってくる。情報を聞きだす前に、まずは抵抗されないようにしないと。」


「うん。…カヤさん、アリスちゃん、ありがとうございます。皆さんのおかげでこうして作戦を立てることができました。」


アズサがミネのいる方へと駆け寄ってきて声をかけているのを見た後、ヒフミはそう言って、カヤたちへとぺこりと頭をさげた。


「いえいえ、大したことではありませんよ。偽造製品を取り扱っているのは誰か?その程度であれば交渉で聞きだせます。いいですか、暴力とは脅しと畏怖の道具であって、賢いものはちらつかせることでより多くのものを得るのです。いたずらに奮うのは賢くないのです、わかりますね?」


「アリスたちには沢山の賢者たちがついていますからね!どこの誰か、さえわかれば基本的に情報筒抜けのイージーゲームなのです。」


「…まあ、確かに凄まじかったですね…。ネット上の本拠住所は当然偽装でしたが、オンライン上での取引の打ち合わせ記録を引き抜き、社員が来る場所を特定して最短で取り押さえる…。もう少し時間があればもっと抜けると言っていましたが……アリスちゃん、あなたの一言でここまでお膳立てできてしまうあたり、本当にミレニアムの代表のようなものなんですね、今のあなた……。」


「ミレニアムの勇者アリスですから!故郷の賢者たちの期待と責任を一心に背負っているとも言えます!」


「……ふぅん。」


「あはは…あ、アズサちゃんたち縛り終わったみたいです。行ってみましょう。」


カヤとアリスの会話を聞きながらいつもの曖昧な笑みを浮かべたヒフミはアズサたちの方を確認した。ロボット、パワードスーツ、アビドス生三人組がそれぞれに拘束されており、そう簡単に抜け出すことはできないだろう。

だが、縛り終わったにも関わらず、アズサはヒフミの方に終わった合図を送っていなかった。じっと縛った彼女たちを身ながら何かを考えこんでいるようで、隣にいるミネも同じく盾を地につけながら複雑そうな表情で三人のことを見ていた。


「どうかしましたか…?」


アズサたちとヒフミたちの間にあった距離は数歩分しかない。だが、この路地は薄暗く、彼女たちの表情をはっきりと認識するのにヒフミは少し時間がかかった。

そしてそれは、アズサたちが目の前の生徒が何をしようとしているのか認識するのにとっても同じだった。


「ッ!!ダメだヒフミ!!下がって!!」


「っうけッ!!うえけけけけけけけけッxt!!!」


けたたましい笑いが路地に響き渡った。くぐもった反響のそれはヘルメットの中から聞こえてきている。アズサの前、三人揃って一まとめに結ばれていたうちの一人が自由になっている足をガタガタと異常なまでにバタつかせているのが見えた。


「ッ!救護ッ!!!」


明らかに常軌を逸したその笑い声に一瞬気圧されていたミネが即座に盾を振り上げてその生徒へと振り下ろす。ガごんっと鈍い音を立て、生徒の首が揺れる。だが、笑いは止まらない。衝撃で砕けたヘルメットのアイシールド部分から彼女の目が覗く。瞳孔が限界まで振り絞られたその瞳に、ミネは見覚えがあった。


「…まさか...!この反応は……」


「ッッ!!」


ミネの攻撃に続く形でアズサがその生徒に銃口を向け発砲を始めたが、生徒はソレを意に介さず、ブチブチと彼女たちを縛っていた縄を引きちぎってしまう。そのまま銃口を頭で払いのけながら、アズサに向かって彼女はタックルをかました。


「っxぐgぅ!!!」


「!!アズサちゃん!!!」


二人の間の距離はほとんどなかった。浴びせられる銃弾で勢いも殺されていた。それでもぶつかられたアズサは狭い路地の壁に叩きつけられ、鈍い悲鳴をあげる。ミネが今度はショットガンを向け、彼女に引き金をひこうとするが、少女は懐に抱えていたソレを既に投擲…否、この狭い密着状態では投擲ですらない、手にもってミネの盾に強引に押し付けるような形でソレは炸裂した。


「ッッ!!しまった…!!不味いッ…!!全員煙を吸わないでください!!」


路地に爆風が吹き抜け。白い煙が一挙に吹き出し視界を奪う。それらによって目がくらみかけると同時に、もっとも至近にいたミネに警告の叫びを発させた。

匂いにわずかな『甘さ』が混じっていたのである。

ミネの鬼気迫った警告にヒフミは駆け寄ろうとした足を止め、カヤは慌てて口を抑えた。

だが、アリスはひるむことなく甘い煙の中を突き進んだ。


「アズサ!師匠!!無事ですか!!!ぅっ、ごほっ…ごほっごほっ…!!」


「バカッ…アレ使ったのね……口の中に入れっぱなしにしてたの!?…何が…何が…もういい!逃げるわよ!!」


「あっ…ああ…ぁぁぁ…いいや…もう、…あはは……」


「?待ってくださいッ…げほっ!!」


煙の中で聞こえてきた声。それがどこかへと逃げようとしていることを認識したアリスは、声をかけようとするも煙でむせ返ってしまう。そのスモークグレネードは長くその場に残留するタイプではなかったのか、風通しが悪い裏路地でも、すぐに煙自体は晴れていった。もちろん、引きちぎられた縄と未だに気絶しているロボットたち以外にそこに残っている捕らえた成果はいなくなっている。


「うっ……うう、しまった…逃がしたか…」


「アズサ!げほっ無事ですか…!」


「あぁ。ガスマスクをしているからな。手痛い反撃を喰らってしまったが、もう動ける…それよりミネだ、盾ごしとはいえ至近でアレを喰らった。」


「!!師匠!!!」


盾を杖のように地に立てながら、ミネはやっと息ができるといいだけに荒く息をついていた。時折むせ返りながらも、ミネはすぐにでも駆けだしたいといいたげに足を前に出しているが、その歩みの遅さが彼女が少なからずダメージを負っていることを示していた。


「私なら…大丈夫です。盾を間に挟み込んでいましたから…少し、身体がふわふわとしますが…大事に至るほどではありません。」


「…砂糖を使った兵器ですか。とんでもないことを考えますね。…それより生徒が見せていたさっきの症状。」


まだ、口元にどこからか取り出したハンカチをあてたままカヤは顔をしかめながらミネに己の推論を確認する。脳裏によぎるのはブラックマーケットにやってくる前に確認した、あの衝撃的な映像であった。


「…えぇ。アタリでしょう。例の異常な砂糖…その症状だと思われます。」


「!速く追いましょう…!逃がすわけにはいきません!!!」

「えぇ…救護しなくては…!!」


「!あれが…確かに放っておけないな。追うべきだろう。だが…」


「…コレらに関してはスマホでもいただいておけば後でどうにでもなるでしょう。今は追うべきです。」


「そうか…助かる。何から何まで…」


「…ありがとうございますカヤ!アリス、先に行きます!!」


「…ええアリスさん、彼女たちには…間違いなく、救護が必要なのです!!」


路地から駆けだしていくアリス、ミネ。アズサ。そして、ロボットの服を漁っていたカヤは、チラリと一人の生徒の方を見た。


「行きますよヒフミさん。何か、別行動をするアイデアでも?」


「…いえ、そういうのではなくて……行きましょう。」


ヒフミの様子にいぶかしげに少しカヤは首をひねったが、アリスにおいていかれないようにカヤも路地をでていく。一人残されたヒフミは、まだその路地で二の足を踏んでいた。


「違う…よね?まさか、ね?」


路地の先、ブラックマーケットの通りを見つめるヒフミの足は、先ほどの煙が質量をもってまだ絡みついているように、やけに重い。それは彼女の心の戸惑いそのものである。聞こえてきた声、背格好。それが妙に彼女の心の中で一人の影と結びつきかけては、違うと何度も否定していた。


ぶるりと頭を振ると、ヒフミもまた路地を駆けだしていく。後に残ったのは、元と同じように後ろめたく、薄暗く、日の指さない暗い裏路地だ。まだどこかふんわりとした甘い匂いと、表から漂ってくる焦げ臭い匂いが混ざり、気分の悪くなるような嫌な空気が、そこには滞留していた。


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